♪イスラエル紀行記 その2


♪こんにちは。

イスラエルに来て2日目。

滞在の中で学んだことを
書いておきます。

今回は、初代首相のベングリオン氏
のお話。

中二の子供の心を動かした
理由を書いていきます。

<イスラエルは奇跡の国?>

・イスラエルは神のみぞ知る…何が
起こるかわかないと言われる。

…それは悪いことに関してではなく、
ユダヤ人が成してきた奇跡に
関しての言葉である。

・日本人にとって旅が楽しいのは
帰る場所があるから。

…迫害された民族には帰るべき
場所がなく、国々を放浪する旅、
水を求める旅は辛いことであった。



<民族のアイデンティティーの脆さ>

・イエスが亡くなって4年後、
イスラエルは一度滅び、約2000年後に
復活した国家。これは前例のない奇跡
だと言われている。

・普通は2000年も経てば、その民族の
アイデンティティーは他国のそれに
吸収され消えていくはずのもの。

・しかし復興したという奇跡の
元になったのは、2000年以上もの間、

…ユダヤ民族としての
アイデンティティーを保ったという
奇跡。

<奇跡を生んだ土台の一つ>

・その奇跡の源は、民族が共有
していた旧約聖書の教えである、
十戒の8つの禁止事項と2つの実行
すべきことを守ったから。

・2つの実行すべきこととは、

…親孝行すること、先祖から続く
歴史を自分まで繋いだ存在を敬うこと。

…もう一つは休息日を守ること。
休息日は世界を創造した神様が
休んだ日。

…神様が休んだ日に人は仕事しては
いけない。

…なのでユダヤ民族は金曜の日没から
土曜の日没まで一切の仕事を休み、

…その休息日には神や家族と向き合い
語らうことに時間を遣う。

<悲劇がエネルギー源に>

・ユダヤ民族で有名なピアニストは
いない…それは長い間、土地を
持てなかった彼らは、

…場所を必要とするピアノを持てない。

…その代わり、バイオリニストは
たくさんいる。それは、
バイオリンは持って歩けるから。

・建国の奇跡の源の第2の要素は、
国が滅びた後に難民となった
ユダヤ民族への迫害、虐待、いじめを
何とかしたいという、

…他国に渡ってた一人の新聞記者、
テオドール・ヘルツル氏の望み。

…特に第二次世界大戦時前後の
ホロコースト(大虐殺)。

…国が無いというだけで、
ひどい仕打ちを受けることを
何とかしたいと、

50年後にイスラエルの地に故郷を
建国することを宣言。

…そしてその望みに共感し、後に
建国の瞬間を見ずに亡くなる
ヘルツル氏の代わりに、
建国の意思を引き継いだのが
ベングリオン氏。

<建国、国家を保つということ>

・ベングリオン氏は、ヘリツェル氏に
共感し意志を引き継ぎ建国を推進。

…数々の建国の困難で建国するか
どうかが危うい時に彼の言った
「now and never…今しかない」
に従い、建国。

・ベングリオン氏は建国後も初代首相
として周辺国からの攻撃から、様々な
政策を立てて守った存在。

その望みは、イスラエルを美しく、強く
たくましい国とすること。

その課題の一つは国家の60%を占める
砂漠…不毛地帯を開拓すること。

<ベングリオン氏の望み>

・子どもたちに大人になったら
何になりたいかを聞いた時、

…その答えの中に、自分の望みである
砂漠問題に挑もうという子供が
いなかったことに大激怒したという
エピソードの存在…

…それだけ、望みに共感してくれる
未来の繋ぎ手がいなかったことに
失望を隠せなかった…。

・そんなベングリオンの望みとは、
砂漠を緑地に変えることで
自国はもちろんのこと、

…世界中の人を豊かにしたいと
言うこと。

…そのために砂漠を研究させて、
後に食料自給率100%を達成する
点滴栽培などを開発させていく。

<ベングリオン氏の望みの土台>

・ベングリオン氏の望みの土台は

…ユダヤ民族が心の拠り所と
している旧約聖書にあるザヤの予言の
「砂漠は喜び花咲き…」が元になったと
言われている。

…それは神の理念に従うこと。

そしてそれは、日本の建国のときの
理念「八紘一宇」と似ている。

…※八紘一宇とは、世界はひとつの
家族という意味。

…個人が、一国だけで幸せになるのでは
なく、

…全世界が幸せになるようにするという
日本の道徳観、理念。

・しかし、日本ではこの理念は、
戦争に利用されたことで、悪い思想と
され、その存在すら子どもたちに
教えられていない。

<日本と国交樹立の理由>

・戦後、ようやく独立国として認め
られた後、最初に国交を結んで
くれたのはイスラエル。

…「アジアの両端は隔てることなく
続くもの。だから手をつなごう」と。

<夢の実現のきっかけ>

・ある日、ベングリオン氏が政府の
要人としての職務中に、
荒れ地に14名の人がいるのを
偶然見かけて、話を聞くと、

…退役後にキブツで生活し、荒れ地を
開発し豊かに暮らすことで国家のために
なると語る、

…彼ら理念と行動力に突き動かされた。

・その若者達に感動し、自分もキブツの
一員として加えてほしいという手紙を
若者たちに出したほど。

・その結果、若者たちはキブツに加わる
ことを了承し、ベングリオン氏が
住む家を用意され、

…その家でキブツの一員として奥様共々、
共同集団に加わり砂漠という不毛地帯を
開拓し、集団農場開発に参加した。

…その地で生涯を終えた。


・勇気と優しさを持って建国、そして
国体を維持したベングリオン氏の家が
今も亡くなった瞬間を再現したまま
残っていて、公開されている。



その家から見える”砂漠エリア”。
開拓前の姿。

<死海すら活かす>

・死海と呼ばれる塩湖を始めとして
土地によっては塩分のために農業に
適さない土地の利用方法として
ユダヤ民族が考えたのは

…「魚の養殖」。ミネラルの豊富さを
活用し大規模に実施、欧州に輸出している。

・今では死海に含まれる美肌成分
を活かした産業や、浮かぶことから
観光拠点としても活用されている

<できることを一生懸命>

・ベングリオン氏の政治的パートナーが
亡くなった後、代わりのパートナー候補は
アインシュタイン博士。

…しかし、政治家は肌に合わないと
辞退したものの、
ベングリオン大学での講義にはユダヤ語で
「相対性理論」を講義し、自分のできる
範囲で国を支援したのだそう…。

 

つづきます。

 

 

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